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CDの不在をどう補うかだ。
CDの不在をどう補うかだ。
『日本人ほど個性と創造力の豊かの国民はいない』呉善花という本を買った。内容はいい。つーか、『ダメな議論』での指摘されていたことだが、ヒトは自分の考え方や気分に合った内容の書籍を読んでしまいがちらしいから、内容がいいのはある意味当たり前で、内容が今ひとつと思うとすれば、自らが相容れにくい主張が展開されていたり、あるいは皆目理解ができなかった場合にそう思うのであろう。
さて、言いたいのはそのことではなく、読んでいる途中で気がついたがこの本は新刊として紹介はされているが、実際には『自分がキライな日本人』という題名で98年に出版されたものを改題し若干加筆しているということがわかった。 これはまずいだろう。(多分)自分は98年に出版されたものは読んでいないので、まだ救われたが(それでも10年近く前の本を新刊と思って読んだことになる)、著者のファンなどで新作と思い買ってしまったりすることもあるだろう。少なくても奥付けなどではなく『日本人ほど個性と創造力の豊かの国民はいない』(自分がキライな日本人、98年を改題)と表紙にうたってくれないものだろうか?それなら買わなかったかもしれないぞ、あ、それじゃ、まずいからこういうことになるのか(笑)。
なんだか新書本だから軽く扱われている気もするな。これが小説で(まぁ、なかなか、著者も了承しないだろうけど)例えば「キースは、Cメージャーを鳴らした」 なんて本が改題で「不完全な余韻」なんて風につけられたら判別ができないではないか。 こういう商売のあり方を、普通、良心を欠いたものと言うのではないのかな。んー、そうではなくそういうこともありうるのだと思って歩かないといけないのだな
僕はCDだけはあほのように持っている。デジタルでいけばいいものをパッケージを持ってないとだめという旧世代だから家の中はCDであふれかえっていて、きれい好き、整頓すきな人なんかは一目見ただけで卒倒してしまうのではないかという状態(笑
にもかかわらず、iPod<>iTunesで音楽を楽しむ身なのでCDから落としたmp3データの収納先はここまで触れてくるとやっぱ外付けHDとなる。
家にはVAIOとMacBook Proがある。なのに当初何も考えずにHDをNTFSにフォーマットしてしまったので、音楽の書き込みはVAIOからしかできなくなってしまった。検証したわけではないけど、iTunesとiPodの間のデータのやりとりってやっぱwindows環境で行うよりもMacの環境で行ったほうが健やかな結果を得られるような気がする。そりゃAppleの製品なのだからあたりまえかもしれないが。
ということでストレージ環境としては不都合は多いかもしれないがFAT32でフォーマットした外付けHDを新たに買って、音楽はそちらに保存してwindowsからもMacからも読み書きができるようにすることにした。奮発してMaxtorの300GBを買ってパーティションを切った。(FAT32の部分は切らざるを得ないというのは初めて知ったけど)
それでvaioを媒介にして、元々のNTFSのみHDからFAT32あり新HDに音楽データの引越しをした。やたー!なんかすごくすっきりした(気分が)。
しかし、好事魔多しというか、iTunesで一覧を見てみると曲リストの左側に!マークをついたものをちらちらみるようになった。それほど多くはないけど。・・・・。これはリストとしては残っているけど物理的にデータが損傷しているか紛失したかで読み込むことができないマークなんだよな。
思いつきでやったことなんだけど、なんだろ。データが移動する際にいろいろ不都合があったんだろうな。引越ししてやれやれと梱包を解いてみたら、お気に入りのコーヒーカップとかお皿が何枚も割れてたって気分。
ただのあきっぽい性格が災いして、というか、ま、怠け者なのでブログはおろか最近はmixiですらあまり書き込みしなかったんだけど、ここに来て以前から登録していたfacebookやmy spaceをちょこちょこいじるように。やっとrssリーダーも入れました。やっぱ、面白いことに注目しているヒトは結構いるもので、いろんなエントリーを楽しませてもらってます。最近ではやはりFLASH+Ajaxとかで開発されたサイトは面白い。とりあえず、nendoにはまってます。
それから久しぶりにブログパーツを入れてみました。
カフェインは骨に良くないということなので遅まきながらコーヒーを飲む回数を減らして、それでも少しは飲みたいのでコーヒーを10、牛乳を90の割合でミルクコーヒーを作っています。コーヒーはスタバのVERONAという濃い目のもの、牛乳は蒙古牛乳というこちらもこくのあるものでどちらもおいしいな、と満足しているのに、何故か、2つをこの割合で混ぜて飲むと美味しくない。うーん、相性とは難しいものだ。でもきっと20と80にしたら美味しいのかもしれないし。もう少し試してみよう。
偽ユニがたまりすぎてしまいました。どうしましょ。1枚だけ欲しいものを買えばいいのだが3枚だとかなり単価が安くなるのでついつい。
日本の雑誌をこちらの書店で買うと下手すると倍の価格になる。bk1が海外在住者向けの雑誌配送を始めたの10誌ほど予約してみる。毎週初めに送られてくるのだが何冊になるかによって送料は変動です。しばらくやってみて送料を含んだ上で書店より安ければたとえ多少あまり興味を引かないような特集の号があってもいいかなと思う。
上原ひろみの情熱大陸(以前のもの)を見る。天才と言われているがジャズのジャイアント達に比べて何も生み出していないじゃないかというようなアマゾンでのコメントもあったが少なくても前向きでひたむきに音楽にのめりこんでいるのがわかる番組で、僕はすでにSprialをもう一枚持っているのだけど、更に好感を持ちました。情熱大陸はいいなぁ。きっちり出演者の素顔を引き出していると思うこと多し。毎日放送はなかなかいい仕事をしている。もちろん取り上げる人によってはつまらないこともあるけれど。
the beatlesのloveを買いました。george martinと息子のgiles martinがリミックスしたというものでしたが期待通り、駄作というより必然性のないものでした。リミックスと言ってもjay-zのblack albumとbeatlesのホワイトアルバムをミックスしアップルの許可を受けられず回収された幻のアルバムgrey albumのようにミックスされたお互いのサウンドやループが何かを引き出しあうものではなく印度音楽が題材だからtomorrow never knowsにwithin you and without youをただ重ねる。それもある部分にまるまる重ねるというような手法で何のエキサイティングな感覚も呼び起こさないものでした。嫌いじゃないから買っておくかという域を出ないかなと思えます。あ、でも音はよくなっているのかもしれません。それからsun kingのリバースバージョンは格好いいです。
保険会社からお手紙。
「あんたに2005年6月~7月かかった骨折の医療費4800ドル払ったけど、あれ間違いだったからすぐ返して」
なんじゃ、こりゃ。確かに去年の6~7月に骨折で医者には行ったけど医療費還付の請求したっけ?請求したっけ?というのは別途キャッスレスで診療を受けられるカードがあってそこにも加入しているので、それを提示したから請求はしてないと思うんだな。つまり医者はこのキャッスレス代行の会社に請求する。キャッシュレス代行会社は保険会社(AIG!)に請求する。・・・。
つまりこの件において自分からAIGに請求してないはずなんだけどな。しかももらった覚えないんだよなー。残念ながら。
いずれにしても保険会社から文面はほぼ上の文章と同じで、ごめんなさいもなければ間違いの内容も起った理由もこちらに支払ったという証明となるものも何もないし、どの受取人名義でどこに送るか、あるいは、この件の担当者は誰なのかも書かれていない。いい加減だなぁ、まったく。
こちらでも大雨が降ると警報が出ます。軽いほうから黄、赤、黒です。今はred rainです。土砂崩れなどの危険を示唆します。
今朝は窓から下を見ると確かに大雨。覚悟をして下に下りてみると、とんでもない横殴りの雨。バスやタクシーはつかまらないと思い駅まで15分ほど歩くことを決意。一度家に引き返し短パンとTシャツ、ぼろぼろの靴でずぶぬれになってもいいように。
ディパックの方に下着とシャツ、パンツをつめタオルやビニール袋を用意し再びグランドレベルへ。すごい雨だ。きっと唇をかみしめ歩き出す。
・・・・。
!。
タクシー誰も並んでない。
そうか、うち10時始業だからピークはもう過ぎたのかっ!とわからないけど簡単にタクシーがつかまる。会社に行くまでに雨は小降りに。
結構、オーバーな反応しちゃいました。恥。
あ!鍵ちゃんと閉めてきたかな?
”想い”ってのは大きくなればなるほど伝えるのが難しくなるんだけどね。それが1対1ならもっと。
最高でも8文字。標準は4文字。ボディコピーはほとんどなし。コピーの内容はたとえば、
神々が微笑んだ
とか
天空までも映し出す
とか
あくまでも例だけどそんな感じ。この数年、香港で見る広告のコピーは本当に短い。短くていい場合もあるが多くの場合、ただ、短い。
これにクールなモデルにトレンディな服を着せスタイリッシュにポーズをとらせサイバーを施したリタッチをする。香港風広告の出来上がりだ。何も言わない。何も語り掛けない。理由はみんな字を読むのが嫌いだからだそうだ。なぜ嫌いなのか。そんなことに時間をかけなくてもいいのだそうだ。顧客を子ども扱いだと思うのだが、もしかしたら1を言えば10知るくらい賢いという暗黙の了解なのかもしれない。
しかし、頭は使わないでいい。マーケティング担当も広告会社もあまり考えなくていい。極端に言えばヘッドコピーは○△◆Xとかアラビア語をあてておいてもいいくらいのものだ。
担当者は本当に商品を愛しているのだろうか。愛さなくてもいいかもしれないがその商品を使っていろいろなスタイルが生まれたり生まれなかったりということに想いを馳せているのだろうか。
僕はやはりそれぞれの商品には語りかけることのできる想いがあるべきだと想う。それを伝えることでコミュニケーションをする、それでも売れない場合もある。一方、何も語りかけずに、かっこいいでしょ、どう?とだけみんながみんな言っておき、売れないね、不況だという判断で済むのだったら本当に簡単なのだ。デザインがかっこういいかどうかはやはり2番目に重要なのであって、その前にこの商品にはこういう思いがあるのだというメッセージがあるべきだろう。(わざとメッセージを拒否する手もあるが、そういう手は2度は効かないし、また、全ての商品に当てはまるものではない)
多くの場合、ローカリゼーション(この場合、ある国の市場でのマーケティングは日本人がやるよりその国の人間にまかせたほうがいいという意味において)の効果を100%期待してしまうとこんなことが起る。もし日本でその文化が、価値がはぐくまれたブランドや商品なら、日本人か、あるいはそのメッセージをきちんと伝えることのできる日本人ではないスタッフ、が必ずかむべきである。でなければ、その市場では、何もわかってくれなくていいので格好よさとスペックだけでコミュニケーションすると割り切ってしまうかである。
国語の試験。
オシムジャパン発足後の4試合でこれまでの監督の言動、メディアの解説などを検討し、このチームを10文字で要約せよ。
答え「考えて走るサッカー。」
オシム監督の発する言葉が哲学的であること。オシムの言葉ということで以前からサッカーファンには知られていたことであるが、木村元彦さんの著書「オシムの言葉」が紹介され好評を博したこともあいまって、監督の発言の真意やどのようなサッカーでチームを作っていこうとしているのか少しでもヒントを得ようとする。
やはりメディアはわかりやすいキャッチフレーズが好きなのだろう。というよりわかりやすく要約して一般に伝えることが使命であるかのように考えているに違いない。このチームの発足を好奇で見つめようやく「走るサッカー」というキーワードらしきものを見つけ、どうやらそれだけでは足りないらしいということになると「考える」というファクターをつける。そしてとりあえず彼らとしては目の前で起っていることをうまく説明できる言葉が見つかった、おさまりがついたということになっているようだ。それは繰り返し繰り返し実況の最中や、記事のところどころにこのフレーズが使われることからもわかる。
しかし、あたりまえのことだけれどサッカーは、相手がいてボールというものがありこの日のように天候やピッチが敵となり一瞬として以前と同じ状況が作り出されるわけではないスポーツなのだ。「考えて走る」ことがどれだけで複雑な要素を内包しているか。「考えて走る」ことは必要だけれどもちっとも十分ではない。
そう考えればこの10文字の要約は、ディテールというものを一切考慮せずものごとを言っているにすぎないので、最大多数の人にわかりやすくするために簡単なレッテルを貼っているということになる。もしかすると、よくかみくだいてくれて皆わかりやすくなったよとお礼を言うべきなのかもしれないが、恐いのはジーコのチームの時にもてはやされた「自由」や「個」のように万人の耳に心地よくあるいはわかりやすく聞こえる言葉はそれぞれが都合よく解釈しやすいので、根拠のない勝手な思い込みでどんどんどんどんふくれあがっていくことになる。
そうして、何かの拍子に期待していたような結果が得られなかったり、しっぺ返しを食らったときにはこんなはずじゃなかった、とか、そら見たことかということになる。今は好意を持って迎えられているオシムの「考えて走るサッカー」もイエメンに負けてしまえば、どうして若い経験のない選手ばかり招集するのだ、とか、ボールを持てるファンタジスタを使わないからいけないのだ、そら見たことかということになる。そうした批判の全てに理がないわけではないが、『考えて走るサッカー』のコンセプトに今のところ合致しないからこのようなアプローチになっているのだという観点がなければジャーナリズムではなくゴシップに過ぎないように思う。
そういう意味で結果は大事だった。本当は内容が結果に優先する位置づけがアプローチになってよいのだが、そういたアプローチを理解されない可能性は高いので結果が手っ取り早い。
このチームとオシムとやろうとしているであろうことを今後もわくわくして見守っていくためにイエメン戦の勝利は本当に良かった。もちろんやようとしているサッカーはまだその片鱗が垣間見えたに過ぎず、この4試合で使われた選手にしても全員がすんなり定着していくわけではない。何よりホームでのキリンカップとアジアカップ予選だけというのh本当に始まりにすぎない。
しかし、とにもかくにも小船は湾を出たのだと例えることができるのではないかと思っている。
日経エンタテイメントによれば、「ゲド戦記」については多くの人が期待を裏切られたと思っているようで、その理由に「ジブリの世界である夢が描けていない」とか「原作を無理に一篇に収めたためにわかりにくくなった」などが上げられていた。興行収入が期待した以上に上がらないのだから(150億と思っていたのが65億)厳しい評価も仕方ないかもしれないし、後者については作品のバックグラウンドを全く知らない僕も話しがはしょられてるなぁと感じた。ただ一方でそういうわかりにくさっていうのはある程度、折込済みのモノなのかとも思って観ていたのだけれど。
また、前者については劇場の待合室で「子供に見せる作品じゃないわね」と言っていた。確かに登場人物は少し屈折している部分もあり現実的すぎるような気もしたが。それに封切ってすでに数週間経っていて口コミで評価が伝わっているのか夏休みの日劇にして子供連れはおろか観客数は少なかった。
そうか。だめなんだ。自分はこれまで一つもジブリ作品を見てないからなー。(正確にはカリオストロの城はTVでやっていたのを横目で見ている)映像、音楽、世界の描き方。いいな!と思ったのけれど。食わず嫌いが実際に食べてみて、ありゃ、美味しいじゃないと思っているだけかもしれないが。
そんな訳で、少し体系的にスタジオの作品を観てみることにしよう。
日本が、欲望はありながらお互いの行動をしばりあって自分で自分の首をしめているような社会だとしたら、香港はお互いがお互いを放任することを黙認していて、それぞれが欲望にだらしなくなっている社会だ。
もちろん、同じ趣旨で言葉を入れ替えることは可能だ。たとえば欲望にだらしなく、という代わりに欲望に忠実に、とも言える。同じ月を見ているのに、片方ではうさぎがいると思っていて、もう片方はお姫様かなんかが捉われていると思っている。相手に同じ価値観を押し付けるわけにはいかないし、かと言って自分の価値観を帰る必要もない。つまり、そういうことだ。
音楽と本と洋服(と言っても最近はカジュアルもの中心)道楽と言ってもいいだろう。中毒とも言える部分もあるし、たまに俺って頭が悪いんじゃないかなと思うくらい無駄に買いこんでしまったりする。落ち込む。
落ち込むけれど、それでもこのくらいの道楽はいいじゃないかと開き直った気持ちになったりもするし、もう少し若いときはこうしたものを買うことが物事に対する自分の考え方や感じ方の表すことでもあるのだと思っていた。(大学時代の友人は、同じことを言うのにパフォーマンスという言葉と使っていたが)まぁ、今さらそんなことを半ば真剣に考えてはいないけれどそれでも買う。日本に戻ってHMVなどに行くと目移りしまくるし、書店に行けばうれしくて仕方なく、また気持ちが癒され、服屋さんではどきどきする。
ではあるけれど。
洋服は物理的にそこになければ着ることも出来ない。本はデジタルな手法を使うこともできるけれど、いかにアマゾンが便利になったところで(海外に住んでいるとこんなにありがたいサービスはない)平積みの魅力には勝てないし、そもそも装丁も大きな魅力で手にとって読むという行為に勝るものがあるとは今のところ思えない。
ではあるけれど。
CDである。
思えば10年ほど前に学生時代から宝物のようにしていたLPを数百枚叩き売りCDに全面移行した。いろんな思い出のあるアルバムと訣別することは身を切られるような思いもしたし、何よりディスクユニオンに買い叩かれた(笑)のが悔しかった。また、CDはコンパクトだけどジャケットもぺらぺらだしなんだかちゃらい感じもした。でも時代の流れには逆らえないよなと思い一大決心したのだったっけ。
気がつけばCDももう数百枚ある。iPod60GBでは全部入りきらない。(100%全部は入れる気はないけど)本や服ほどではないけど場所を取る。ほんの数ヶ月前までmp3という形で自分の持っているCDを持ち出していろいろな形で楽しめるということにはハッピーだったのだけれど、そのスタイルの一方にはCDを所有することとのが厳然としてあった。所有があってのmp3という形での持ち出し。
オンラインでダウンロードすればもちろんジャケットはない、歌詞カードや解説もない、(以上はソフトコピーとして配布されていればデジタルフォーマットで持つことはできるかもしれないけど)、何よりディスクがない。
サービスの多くが、ものを手元に溜め込まずに外にあるものにアクセスして必要な時に利用するという形に変わっていっているときにCDの所有に拘泥するのはまるっきり損なのではないのか。そんなものはもうスタイルではないのではないか。所有していることで自分はカタルシスが感じ続けることがあるのか。
というようなことをこのエントリーのようにまとまらないまま考えている。叩き売ってしまえば、なんだかほっとするんじゃないかという、別に時の流れに沿うことだけではない、満足感もあるような気もするし。
”俺のために毎日がんばってよ”
というのは中国石化(中国の2大国営石油会社)の香港地域での最近のスローガン”為香港天天加油=香港がんばれ〜香港で毎日ガソリン入れますよー”をもじったもの。ご存知のように”加油”という言葉は”がんばれ”という意味だが、同時に文字そのままに”ガソリンを入れる”という意味もある。ガソリンスタンドは中国語では加油坫(坫はステーションの意。中国では駅という字はないので鉄道の駅にも使われる)となる。
スローガンは2008年の北京五輪(一部、馬術などを香港で開催)での香港代表がんばれにもかけているのだと思うが、これまで中国の国営会社らしく、あまり、宣伝に力を入れていなかったの中国石化もいよいよ商売に本腰を入れだしたのかもしれない。
さて、なんで”俺”のためにがんばってくれと言ったかと言うと、実はCiti Bankが売り出した中国の石油関連企業株バスケットを1年ほど前に購入したからである。僕はそれまで保険関連の金融商品は買ったことがあるが、株関連は買ったことがなかったので初めての購入になる。にしてもあまりきちんと研究して買ったわけでもなく、こういうものも買っておかなければいけないんじゃないかという気持ちの腰が引けつつもあの中国の石油関連ならあがるんじゃないのと言ったような少しは欲があるぞ、といういかにも損をしそうな株デビューの仕方である。
しかも、市場動向をきっちりフォローもしていないのだが、毎月CitiBankから来るステートメントくらいはちらっと見る。(総合口座だから預金など全てが一括して報告される)そして馬鹿ではないからこのバスケットがずっと元本を割っているのも知っている。今や91、2%くらいである。そういうことがあって、タイトルのごとく、中国石化よ、俺がもうかるように少しがんばってよ(香港とか、五輪はいいからさ)と書いてみたのである。
さて、一方でもし自分がもうかるというとはと考えると基幹エネルギーの石油及び関連商品の価値があがるということだから、中国の国力は益々大きくなり、経済も益々発展していくことになり単純な二元論で言えば日本は大丈夫かという心配もある。それからあの国で益々石油がもてはやされるとなると環境に与える被害も深刻だななどとにわかエコロジストになってみたりする。
じゃ、そんな株を買うなよって話だよなぁ。どうせもうかりゃしないだろと思う気持ちは大きいんだけど。
某品川社製のバッテリーがデルやアップルのノートで発火するということでアップルから回収プログラムの通知がメールであった。シリアルを調べろということで、ま、そんなこともなかろうとバッテリーを取り外して指示に従って確認。
BINGO!!!!!!( ゚д゚)ドカンー
・・・・・。事故の恐れの有るものでした。すぐにAC電源のみで使用せよとのこと。で、日本法人はオンラインで申し込みすれば交換バッテリーが送られてくれるのだが、香港は法人がないのでディーラーに聞け、と。ううむ。ここんちは以前にiPodシャッフルの動作不良で行ったことがあるのだが(保証期間だったので交換してくれた)アップルとは思えないつくりのデコレーション。ていうか事務用の長テーブルが置いてあるだけ。スタッフもなんだかアップルで働いていることの喜びみたいなものがこれっぽっちも感じられないような人たち(若いんだよ)ばかり。全然やる気もなく、いやいや事務をしている感じでサービス2.0どころか1.0にもまだ達してないんじゃないというところ。夢がないんならアップルじゃなくて、ま(ry)とかで働けばいいのに。悪いけど。気が滅入るなぁ。スムーズにものが運ばないこと必至。
香港ってところは次から次にお店ができてはつぶれます。食べ物屋やブティック。できたと思ったら3ヶ月にはつぶれています。7−11などと言った大きなチェーンもだめならすぐつぶれます。半年後には道の向かいにまた再出店していたりします。
きっとこのエリアではこのくらいの来客が見込めて云々などという戦略は取っていないに違いありません。(確かめてないけど取っていたら多くのお店がこんなに速く撤退しないでしょう)ヒトもさっさとやめます。半年でやめます。100円給料が多ければやめます。きっとその人たちにも企業にも知識とか経験やノウハウなんてたまっていないに違いありません。(実際、たまっていません)
日本的な文脈で考えたらでたらめです。全然だめと言ってもいいでしょう。社会にも厚みが出てきません。日本ではその厚みを維持し、更に維持しているからこそ期待値の平均があがり、だからこそ、みんなひぃひぃ言う訳です。香港では厚みなんて関係ないです。モデルがあればまねをすればいい。わからなければ金を使ってノウハウのあるヒトをもってくればいい。その人材がだめならきればいい。
そんなわけでどんどんどんどんビジネスがお金が良くも悪くも回転していきます。職を得るチャンスもたくさんできます。チャンスはがんがんあります。ほんこんドリームです。短期でデコレーションもかわっていくから施工業者も大もうけ、お金を借りていくだろうから銀行ももうける。うーん、がんじがらめの硬直した日本よりこっちの方がいいんじゃないの?と言いたくなります。
でも、隣の芝生はいつでも青い。このように刹那的な社会ではクオリティだとか、いろいろなものを生み出す土壌とか出てこないと思った方がいいかもしれないわけで、あたりまえの話ですがどっちがいいかは自分で決めるしかないということです。
6月に右足の小指を骨折して以来、サッカーや運動の時に3Mのテープを巻いている。質には非常に満足しているのだが大体7−8回ほどで1ロールを使い切ってしまう。日本のようにドラッグストアが充実していない香港では大型店の方が品揃えが悪い。多くの人が日常的に必要としないような商品は街の薬屋さんに行くことになる。大概の医薬品の他に漢方薬やふかひれ、ホタテなどの乾物などを売っているのだがトリッキーなのは商品に値札が貼ってないことだ。
したがって、○○を下さい、あるいは店員がすすめたものを買おうと思えば価格を聞くことになる。言ってみれば店員はその場で勝手な価格を言う可能性は高いので適正価格を知っていないと高く買わされてしまうことになる。しかし、医薬品の値段など把握しているわけもなく、ましてやテープなど。
僕が最初に買った店では1ロールが32ドルだった。次もこの店で買ってやはり32ドル。でも後日、別の店では28ドルで買うことができた。そして再度、最初の店で買おうとして、いくら?と聞くと店員は34ドルとのたまう。!。じゃ、いらん。そのまま店を出た。
やれやれ日本はいいなぁ。どこに行っても比較的オープンにものの値段を知ることができるから比較もできるし、こんなことでいらいらしなくてもいいよなぁ。僕らは適正価格というものを売る側のコストや利益に照らし合わせて判断することはできないのだからマーケットで有る程度、情報がオープンになっていてその中で選べるようになっていてくれないとなぁ。うん、日本はフェアだ。
というよりこんなところでもうかった損したのエネルギーを使うような社会ってあほらしくないかと思ったりもする。
・・・。と考えていて、待てよ、日本にも訳のわからない価格ってあるよなぁと思い当たった。何もきれいなおねーさんとおしゃべりする価格が均一ではないというようなことではなくてサービスの分野ではあるが・・・。
たとえば君がフィットネスに行くとする。タオルを忘れた。借りる。300円。・・・・・。ここが本当に理解しにくいところなんだけど、環境へのケアから始まった発想とは思えないのだけどタオルを用意してくれないサウナはないように、高いお金を取っておきながらそのくらいの用意もしないことに先ず疑問。そして500円。罰則じゃないんだから、500円も出したら2−3回も貸し出ししたらクリーニングも含めて十分なんじゃないのか?タオルなんて自分のものの方が清潔でいい。それはそのとおりだし、忘れなければいいのだけれど、でもきちんと管理されたタオルを出してもらうくらいのお金は出してると思う。
どうも本来はそのビジネスをするために必要なランニングコストと考えられる部分で別途お金を請求されて
いる気がしてならない。
その最たるものは銀行のATMの利用手数料だと思う。70、80年代ならこれはサービスだということも出来たろうけどサービスのいい銀行を選べる時代にまさかうちはATMはないんですというところはないだろう。あってあたりまえのサービスなのに手数料を取る。これは本当にわからない。更に言えばそれだけのサービスをヒトが行ったら人件費や支店のランニングコストだけで馬鹿にならないだろうからATMを増やすことは経費の削減にもなっているはず。なぜ、手数料を払わないといけないんだろう?
と、ちょっと比べる尺度が違ったかなぁ・・・ごめん。
ああ。そうか。香港の広告写真になんだか落ち着かなさを感じていたんだけど、
いろんな要素があるにしても最大の理由はモデルのポーズだ。
子供や絵の下手な人(自分も下手だけど)が描くのっぺりしていてしかも身体のパーツの向きがなんだか
不自然なあの感じ。あれだったのか。
なんでこんなことになるんだろう。作るほうも作るほうだがOKを出すほうも出すほうだ。
川淵さんの手法の何が嫌いかと考えてみたのだけれど
それはきっと、問題を真っ向から突き詰めようとしないでいわゆる豪腕と称されるようなやり方で無理やりに作り上げてしまうことだと思う。
ああでもないこうでもないと議論だけはするが結局どこにもたどりつけない組織や案件というのは多い。で、行動や実現の伴わない論議はかなり嫌いなのだけど、物事の本質を覆い隠してしまうような手法も嫌いだ。(それを見抜けないというのも相当嫌いだ)
やればできるはずのこと。考えればそのような結論には達しないであろうことを、無理やり自分の力だけで作り上げてしまうときには、衒いというものがあってほしい。俺は無理やりにこういう風に作り上げているんだという確信犯としての宣言が欲しい。
この方はそうではない。
いかにも、自分のやり方が正義であるように言う。自由や個などという耳に心地よい言葉を用いて本質を覆い隠してしまう。何故か日本人が忌み嫌うようになった、決め事とか上の立場から差し出されたもの(僕はなんでこれらの概念を忌み嫌わないとならないのか全くわからないが)は何でもだめだから、自分で考えたことは何でもすばらしいのだなどと、世間をたぶらかす。
困ったものだ。
こうして。どちらも選手の自由にゆだねようとしているではないか。ジーコを批判する人はなんでオシムを批判しないのだなどという、2人の監督がどのように「自由」という概念を用いているのかすら(意図的に?)無視して、そのような風潮をいぶかしむなどというでたらめなコラムを書く人、掲載する雑誌が出る。
やはり川淵さん的な手法や論理の作り方は否定されないといけない。でないと、「自由」にも「個」にも失礼すぎるというものだろう。
未完。続く
香港はサッカー後進国になってしまったと言えるだろう、代表の成績はぱっとしない。東アジア選手権ですら本選に進むことができないし、国内リーグに興味を持っているファンはほとんどおらず定期的なTVでの放映もなければスタジアムが盛り上がることもない。サポーターというのも聞いたことがない。サッカーと言えば植民地時代の名残からかイングランド代表をはじめ、マンU、リバプール、チェルシーといったプレミア勢やレアルマドリードなどに完全に市場(ニセモノも含めw)を持っていかれたと言えるだろう。サッカー植民地だ。
しかしながら香港の人たちが草サッカーを楽しむための場所となるといくらここ数年フットサルコートなどが増えてきたなどと云っても日本は及びもつかない。もし、あなたがサッカー好きである日曜日にサッカーがしたい時に何でもいいから運動ができる格好で2−30分も街を歩き、ためらうことすらなければ、どこかに草サッカーの試合に混じってボールを追うことができると断言できる。あるいは7人そろえて繰り出せば複数チームで勝ち残り(ゴールを入れられたチームが抜けていく)を楽しんでいるピッチを見つけることができるはずだ。
ハッピーバレーに6つ、アバディーンに3つ、モースパークに3つ、九龍仔に4つ、楽富、KGV、何文田、沙田・・・・僕の住んでいるところから30分以内に芝の(実際には草が混じっているがそれでも多摩川河川敷に比べれば雲泥の差)ピッチがこれだけある。ここに人工芝を加えると更に増える。人工芝の中には芝用のスパイクがOKでスライディングも大丈夫な最新鋭のものもある。そして7人制のできるピッチにはテニスのようなクレーのものとちょっと危ないけどコンクリートのものがある。その数、香港全域ではいくつあるのだろう?数えたことはないけれど、東京23区くらいの土地に500はくだらないんじゃないだろうか。
そして多くは施設としても必要十分。ちゃんと(たまにちゃんとじゃない)お湯の出るシャワーがついているとこが多く、売店なんかもある。公営のところは1時間半のフルピッチが170香港ドル。約2500円。もちろん朝並ばないと本当に便利な場所は取れないけどちょっとがんばれば毎週のように押えることができる。
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さて日本の事情は実はあまり知らない。でも知っている限りでは河川敷にはシャワーはないし、気の滅入る仮設のトイレしかない。家族がちょっと座れるベンチだってない。何よりブッキングは本当に大変そうだ。フットサルだってそうそう安くはないだろうし、それにあれはあれで楽ししスポーツとしてス的だけど、フットサルであってサッカーではない。それに都内で簡単に取れるって訳でもないだろう。
行政が本当にスポーツにお金をかけてもいいと思っているのなら、香港のようにするのはそうそう難しいことじゃないのかもしれない。香港だって土地は高い。日本よりもっともっと高い。何せ、不動産の売り買いは経済にお大きなファクターだから。でも団地を建設する際には必ず公園があって公営のミニピッチやテニスコートができるようになっている。しかし、今更国有地でもないところを国や地域が買い上げて云々はとても難しいことくらいはわかる。団地の建設には運動施設を併設せよと命じるのも難しかろう。
そこで、少子高齢化社会であちこちで廃校になっている小学校に目をつけたい。まったく使われなくなった校舎、校庭。ちょっと手を加えて校舎の一部を更衣室に、校庭や体育館をピッチにできないだろうか。何も芝を貼らなくてもいい。もちろんその方がいいけれど草でも、土でもいい。今よりも簡単に多くの人がボールを蹴れる環境を(テニスでもいいんだよ)ささっと作れないのかということである。そして子供がいなくなったところではほぼ間違いなく高齢化が進んでいるのだから、運営をNPO形式にして地元の高齢者にしていただけないものだろうか?そして次の段階としてコミュニティつくりの拠点としていく。
廃校になった小学校などの土地や校舎をどう再利用していくのか、あるいは単にビジネスとして民間に払い下げていくよりも、ひっそりとしてしまった都会の過疎地に活気を与え運動、体育(ここではサッカーという切り口にしているのだが)の裾野を広げる、すばらしいミッションだと思うのだけれど。
これがたとえばxx市のxx町のxx小だけで起こっても(何も起らないよりはましだが)しかたないので一気にあちこちで起ったりはしないものだろうか?運動できる場所が近くに安価にあるというのはずばらしいよ。絶対に。
13日夜9時半ごろ成田に到着す。少し混んではいたけれど割とスムーズに出てこれる、すぐにエアポートリムジンのチケット、9時50分発東京駅行きを買う。少しく、喉が渇いていたので缶コーヒーなどを売店にて買う。ないんだこれが香港には。一息ついてボーっとしていたら既に9時48分。あわてて1番乗り場へ。バスは既に来ている。係員に切符を見せて確認し、50分の東京行きはこれですか?と聞くと経験多そうな方が「あ、これまだですね、次の列に並んでください」と言う。ああ、遅れているのかと思い言われた列に並ぶ。
51分、53分、54分。やっとバスが来る。これかなと思い乗ろうとし、荷物を預けようとすると、今度は若いスタッフが「あれ、50分東京駅行きはさっき行っちゃいましたよ」と言われる。え?と聞き返し、だってさっき乗ろうとしたら別のスタッフの人に、まだ来てないと言われて並びなおしたんだよ。どのスタッフですかと聞かれ目で追うと隣の2番にいたのであの人ですよと言う。ちょっとお待ち下さいと言われる。
やれやれと思っていると彼が来る。切符を見る。あー次は10時05分だなと言い切符をひったくって消えてしまう。んんんと思っているうちに彼が戻ってくる。「はい、10時05分」と言って切符を差し出す。いや、すみませんでしたねとかないのかな、と思ってかちんときたので、あのー、さっきあなたに言われて元のバスに乗れなかったんですが、と言うと。
「へ?わたし、そんなこと言ってませんよ」
と返事。・・・・・。あー、もういいや。どうせこれ以上言ってもクレーマーと思われるだけだし。というか思われていたわけね・・・・。なんだかこんなことでずっと怒っているのも嫌だし。と思い釈然としないままバスに乗り込んだのでした。もうイヤ。
・「かもめ食堂」2回目です。どうしても観たかったわけではなく15日に「太陽」狙いで行ったら長蛇の列で立ち見はしんどいので断念したところ時間(移動距離も含め)があったのがこれでした。本当は隣でやっていた「トランスアメリカ」をと思ったのですが。しかし、悪い映画ではないので2回目も平気。しばらく頭がシナモンロールになります。あと美味しいコーヒーの入れ方とその呪文にも。
・そして「太陽」を18日に。前のほうと案内なので立ち見を覚悟して入ったけど楽に座れました。シネパトスは小さいのでこのあたりの判断難しいです。映画はねー。必見でしょう。きぱーり。あまり細かく言いませんが、すばらしい。空襲の夢の場面とか。演技もかなりいいですけどね。イッセーさんも桃井さんも。
・と上2本で終わるはずが時間がいろいろあまったりして、あと2本。ひとつは初体験じぶりました。「ゲド戦機」。田中裕子のクモ。これだけでも必見だというくらい、はまってました。この手のものは実写よりアニメがいいなと自分的には確認。別に命なんて惜しくないんだと言う王子は若者を(いつの時代のものでも)うまく表してます。主題歌であるテルーの歌はよいですので機会があればお聞きください。
・そして「パイレーツオブカリビアン」。とどめ。ま、も、いい。ディズニーだろうがなんだろうが。ジョニー・デップがキース・リチャーズを参考に役作りした。あー。もうそれだけで必見じゃないかw。
行きの飛行機ではとりとば戦にNHKぷろふぇっしょなるのスガシカオ登場編でそれなりの映像時間を過ごすも、(あ、あとmother3はじめました。)帰りはトルシエ特番を観て脱力しまくりましたww。お宝映像をお渡しした方々、早めにご覧下さいね。一緒にあった上海申花対アトレチコマドリードはどうでもいいですがw。
わたしには悪意はないとあなたは言う。
ただ予算がないために、一度は同意していたファンディメンタルを準備することができない。
わかってほしい。
(あなたの立場をわかることは比較的簡単なことだし。)
(500万円が200万円になったとしてもリーズナブルな質と量のものをさしあげましょう。)
(たとえ予算が10円になったところで何かを作ることはできる。)
(ポイントはあなたの立場や気持ちをいくら真摯に慮ったとしても、
このプロジェクトによって用意されたシステムは、どちらかと言えば、頻繁に
笑われたり非難の的になったりすることは確実でそのことは今、知っておいた方がいい
ということ。)
(何かを犠牲にすればそれだけのものしか返ってこないという覚悟を持とうではないか。)
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