国語の試験。
オシムジャパン発足後の4試合でこれまでの監督の言動、メディアの解説などを検討し、このチームを10文字で要約せよ。
答え「考えて走るサッカー。」
オシム監督の発する言葉が哲学的であること。オシムの言葉ということで以前からサッカーファンには知られていたことであるが、木村元彦さんの著書「オシムの言葉」が紹介され好評を博したこともあいまって、監督の発言の真意やどのようなサッカーでチームを作っていこうとしているのか少しでもヒントを得ようとする。
やはりメディアはわかりやすいキャッチフレーズが好きなのだろう。というよりわかりやすく要約して一般に伝えることが使命であるかのように考えているに違いない。このチームの発足を好奇で見つめようやく「走るサッカー」というキーワードらしきものを見つけ、どうやらそれだけでは足りないらしいということになると「考える」というファクターをつける。そしてとりあえず彼らとしては目の前で起っていることをうまく説明できる言葉が見つかった、おさまりがついたということになっているようだ。それは繰り返し繰り返し実況の最中や、記事のところどころにこのフレーズが使われることからもわかる。
しかし、あたりまえのことだけれどサッカーは、相手がいてボールというものがありこの日のように天候やピッチが敵となり一瞬として以前と同じ状況が作り出されるわけではないスポーツなのだ。「考えて走る」ことがどれだけで複雑な要素を内包しているか。「考えて走る」ことは必要だけれどもちっとも十分ではない。
そう考えればこの10文字の要約は、ディテールというものを一切考慮せずものごとを言っているにすぎないので、最大多数の人にわかりやすくするために簡単なレッテルを貼っているということになる。もしかすると、よくかみくだいてくれて皆わかりやすくなったよとお礼を言うべきなのかもしれないが、恐いのはジーコのチームの時にもてはやされた「自由」や「個」のように万人の耳に心地よくあるいはわかりやすく聞こえる言葉はそれぞれが都合よく解釈しやすいので、根拠のない勝手な思い込みでどんどんどんどんふくれあがっていくことになる。
そうして、何かの拍子に期待していたような結果が得られなかったり、しっぺ返しを食らったときにはこんなはずじゃなかった、とか、そら見たことかということになる。今は好意を持って迎えられているオシムの「考えて走るサッカー」もイエメンに負けてしまえば、どうして若い経験のない選手ばかり招集するのだ、とか、ボールを持てるファンタジスタを使わないからいけないのだ、そら見たことかということになる。そうした批判の全てに理がないわけではないが、『考えて走るサッカー』のコンセプトに今のところ合致しないからこのようなアプローチになっているのだという観点がなければジャーナリズムではなくゴシップに過ぎないように思う。
そういう意味で結果は大事だった。本当は内容が結果に優先する位置づけがアプローチになってよいのだが、そういたアプローチを理解されない可能性は高いので結果が手っ取り早い。
このチームとオシムとやろうとしているであろうことを今後もわくわくして見守っていくためにイエメン戦の勝利は本当に良かった。もちろんやようとしているサッカーはまだその片鱗が垣間見えたに過ぎず、この4試合で使われた選手にしても全員がすんなり定着していくわけではない。何よりホームでのキリンカップとアジアカップ予選だけというのh本当に始まりにすぎない。
しかし、とにもかくにも小船は湾を出たのだと例えることができるのではないかと思っている。
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